甲州市は、武田家終焉の地で有名です。信玄の後を継いだ勝頼は織田・徳川連合軍に攻め込まれ築城したばかりの新府城に火をつけ、大月の岩殿城に向かいました。その途中、家臣の裏切りにあい、大和町田野地区で最期を遂げます。

当時に思いをはせながら巡りたい、お寺3選です。

<大善寺>本堂は国宝、勝頼一行が最初に身を寄せた寺


新府城を後にした勝頼一行は、大善寺にたどり着きます。勝頼と夫人はこの寺で、武田家の武運を祈り一夜を明かしたと言われています。しかしながら、その夜には闇に紛れて多くの家臣が離散してしまったそうです。

大善寺は本堂が国宝で、関東で最も古い木造建造物です。ぶどうを手に持った本尊薬師如来像が安置されています。普段は拝むことができませんが、5年に一度の御開帳時に拝観することができます。

最近ではテレビドラマ“逃げ恥”のロケ地としても有名です。

<施設案内>
住所 〒409-1316 甲州市勝沼町勝沼3559
拝観料 500円

<景徳院>勝頼が最期を迎えた武田家終焉の地


家臣の裏切りにあい、大月へ向かうことができなくなった勝頼一行は、先祖の墓がある天目山栖雲寺を目指します。しかし、先回りした敵軍に行く手を阻まれ、ついにここ大和町田野で最期を迎えます。

景徳院は勝頼の菩提を弔うため、徳川家康の命により建てられたお寺です。

ひっそりとした境内には勝頼と夫人、息子の信勝や家臣の墓、自害した跡の生害石や辞世の句が残されています。また、景徳院付近には古戦場跡や数々の史跡があります。

<施設案内>
住所 409-1202 甲州市大和町田野389

<天目山栖雲寺>武田勝頼が最後に目指した寺


勝頼が最後に目指した栖雲寺の境内には、上杉禅秀の乱に加担して自害した武田信満の墓があります。

栖雲時は業海本浄が中国に渡り、抗州天目山の中峰明本のもとで修業した後、開山した禅寺です。ここには業海本浄が日夜座禅を行った、正面に富士を望む広大な禅庭(石庭)があります。

また、宝物館には武田家ゆかりの宝物、軍配や軍旗、重要文化財の普応国師座像、世界的にも貴重な、十字架を持つマニ像の絵画があります。これらの宝物は11月の宝物風入れ展で特別公開されます。

<施設案内>
住所 〒409-1201 甲州市大和町木賊122
拝観料 禅庭 300円
宝物館 要予約 500円(禅庭含)

まとめ

家臣たちの裏切りは、戦国時代にはつきものですが、武田家の家臣、小宮山内膳は謹慎中の身でありながら最後の一戦に駆けつけます。

また、最後まで勝頼に仕えた土屋惣藏が左手でつるをつかみ、右手に刀を持ち、天目から来る敵と戦った地には“片手切り”の碑が立っています。武田家への忠誠心に心が打たれます。春は桜、秋は紅葉が美しく、大善寺~景徳院~栖雲寺と辿れば、より一層当時が偲ばれます。

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