東京都江戸川区で愛する奥さんと3人の子どもたちに恵まれ仕事も順調、家を建てて5年目。人生これから、という時に東日本大震災に見舞われた。子どもたちは被爆してしまい、危機感を感じた奥さんが出した結論とは?ご主人のYさんにお話を伺いました。

子どもたちを守るため移住を決意

危機感を感じた奥さんがまずしたことは、インターネットで移住先を探したことでした。“住みやすい町”で検索すると一番に“岡山県”がでてきたそうです。何がよいのか、いろいろ調べた結果、災害、地震が少ないということが決め手となり岡山に移住することに決めました。

お二人とも東京で育っていましたので周囲からは反対されたそうですが、唯一Yさんの仕事の上司とお父さんだけは賛成してくれたそう。

決めたあとはYさんだけ仕事の関係上ひとり東京に残り、4年前に奥さんたちは一足早く岡山に住み始めました。その1年後にYさんは追いかけていきました。気になる仕事ですが、それまでとは全く別の仕事に就きましたが、身体を壊されてしまったのだそう。今は元の仕事関係をまた新たにされるようです。

岡山市ではなく、赤磐市にした決め手とは

いちばんの決め手は子どもたちの医療費。岡山市は小学生間まで無料なのに対して、赤磐市は中学生まで無料だったことです。

子どもたちはぜんそくを抱えていましたのでとても大きかったそうです。Yさん自身は東京のごみごみした人込みが苦手だったこと、高いビルがないこと、看板やネオンなどなく見晴らしがいいことがよかったようです。なにより、飛行機を使えば東京も近い、車で走れば岡山市内にも30分でいけることも決め手に。

お気に入りの施設は赤磐市の図書館、いきいき交流センターや児童館など。充実しており、よくいかれるそうです。図書館について補足ですが、CDやDVDなども貸出してくれますよ。外観も素敵でいつもたくさんの方が利用されています。

赤磐市に住んで不便だったこと、嫌な思いはしませんでしたか?

不便や嫌な思いはしたことがない、という心強いお言葉をいただきました。赤磐市役所の職員も優しく地域の方にもよくしてもらっているとのこと。引っ越してきた当時、小学5年生だった息子さんは初日からお友達を11人も連れてきたそうで岡山弁にもすぐになじんだ様子です。

なにより赤磐市に移住してきたとたん、子どもたちの喘息は出ていない、と嬉しいことだらけ。とにかく空気が違うらしいです。また、星がきれいで夜外に出て眺めることが多いそう。赤磐市を気に入ってもらえて同じ赤磐市に住む者としてとても嬉しかったです。

まとめ

東京から赤磐市に移住されたYさん一家。赤磐市での生活を満喫されています。今は賃貸住宅ですが赤磐市に新しく家を建てることがこれからの目標だそうです。

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