私は25年前に神戸市から北海道天塩町に移住しました。夫は田舎暮らしへの希望が強く、どんな仕事でもするからということで、家族4人でやってきました。当時、私は漠然と、これからはネットの時代だから、過疎のデメリットもカバーできると思っていました。しかしひとりでは難かったのです。私の考えが実現したのは、天塩町がランサーズの活動をはじめた2年前です。そこに至る私の仕事体験を紹介します。
職種を選ばなければ、仕事が次々にやってくる
私は独身の頃、神戸市でグラフィックデザインの仕事をしていました。天塩町に移住してからは、ネットで仕事をしようとホームページも作りましたが、営業力がないので仕事の依頼は来ませんでした。そんなわけで専業主婦をしていると、いろんな方がいろんな仕事を紹介してくれるのです。ビート植え、大根抜き、土木の人夫、防雪柵の取外し、測量の手伝いなどを経験しました。
デザインの仕事しかしたことがなかったので、分からないまま引き受けましたが、この経験で私の職業観は180度変わりました。どれも初めての仕事で面白かったのですが、体力が持たなかったため事務の仕事を探し、その後10年ほどは市の臨時職員をしました。
コンサートホールも映画館もスポーツジムもないけれど
臨時職員になってからは時間と体力の余裕もできたので、ブログを始め絵本などを描いてSNSで発信していました。しかしそれでも、仕事に結びつくものではありませんでした。
また、天塩町で閉校になった小学校を利用した美術展「アートinてしお」の企画運営も8年間行いました。文化的な面で言うと何もないところですが、クラシックコンサートやジャズ、映画などが無料で鑑賞できます。
といってもこれは天塩町が企画して開催してくれるので、好きな時に自分の観たいものをチョイスすることはできません。たとえば演歌好きの方なら毎年、夏の祭りのときに歌手が来ます。運動も専門のトレーナーが教えてくれる運動教室が行われる場合もあるのです。
天塩町が仕事のやり方をサポートしてくれる
2年前に、天塩町とランサーズ共催のクラウドソーシング講座の募集がありました。諦めかけていたネットで完結する仕事ができると喜びましたが、69歳になっていたので、この年で覚えられるかしらと迷いながら参加しました。
講座では丁寧に教えてもらい、仕事をしたい人と頼みたい人のプラットホームに立つことができました。デザインの場合はコンペ形式が多いのでなかなか当選しませんが、私のように営業能力がない者にとっては、理想の働き方です。今は気負わず楽しみながら良いクライアントに会えることを願って頑張っています。
まとめ
私の場合は高齢になって出会えたクラウドソーシングですが、若い人にも適した働き方だと思います。多くの人は高校を卒業すると都会に行くのが常ですが、過疎地にいても全国の仕事に出会える場を、天塩町の働きかけで実現したのは素晴らしいことだと思います。
都会で働く為だけの生活ではなく、外を見れば大自然が広がっている豊かな環境で仕事ができるのは贅沢なことだと思います。
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