急峻な山地が連なる日本では、日照の面でも自然の恵みでも、海辺よりも里山こそ豊かだった時代が長い。中腹の集落はその名残で、これもひとつ、山が豊かであったことの証だ。
平成17年3月に誕生した赤磐市は、2年ほど続いた平成の大合併の最盛期の、最後の最後に産声を上げた。合併導入が拙速に陥らなかったのは、山陽、赤坂、熊山、吉井の旧4町に、それだけ自立した豊かな暮らしがあったからだろう。南西部に位置する山陽地域は平地も多く、マイカー通勤で30分程度と岡山市のベッドタウンでもあるが、地場産業としてはモモやブドウが強い農業地域。そこから北東に広がる市域の大半は、まぎれもない中山間地帯だ。
そんな「日本の原風景」的な土地柄の常で、ここにも少子高齢化の課題があり、実際に近年の人口動態では微減に転じている。そのため市としては「子育て支援」を全力で、ということなので、関連する事例を見せていただいた……のだが、それがなんだか、想定外の面白さだった! 赤磐、なかなかやってくれるのだ。
眼前に史跡を望む児童館には、地域の優しさがこもっていた。
まずは地域の子育て支援施設、山陽児童館。要するにチビっ子とママたちがゆったり遊べる場所なのだが、そのゆったり感が「田舎あるある」では済まないレベル。
メインの居間では地域の有志による紙芝居があったが、別の部屋ではトランポリンで遊ぶ子がいて、その奥には足こぎのスーパーマシンがずらりと待機。しかもクルマの部屋だけでなく廊下の大半も走行可能で、チビたちにとってはかなりの冒険ドライブだ。
この日は市民限定の曜日だったが、ふだんは岡山市からの利用者も多い。ま、それなりに混むだろうけど、この広さなら問題なく──なんて率直な感想を口にしたら、意外な裏話が返ってきた。
もともとここには保育所があり、児童館も別にあったが、目の前の史跡「備前国分寺跡」の発掘調査の関係で園庭の利用が制限され、保育所の運営には狭くなるので、建物はそのままで児童館と入れ替わったという。なんとも大らかなリユース事例だ。
スタッフの加藤はるみさんと、読み聞かせの前田隆子さんは、ともに山陽地域で子育てを経験した。当時は子どもも多く、困ったら助けてくれる先輩ママも近所にいたが、いまはそれも難しくて……と口をそろえる。
だからこそ児童館では少しでもくつろいでほしいと、利用者のママたちには(もちろんパパにも!)まず飲み物が出され、相談を受けるのも小部屋のデスクではなく、かたわらのテーブルで。メインの部屋を「居間」と書いたが、それはまさにご近所の、広々とした居間だった。
蔵書も空間もたっぷりと、居心地のいい図書館が地域の文化を支える。
もうひとつ気になっていたのは、市制とともに新設された建物がモダンで美しい中央図書館。利用率が高いのは高齢者の読書量が多い地域性だが、児童書コーナーも広々と6万冊を並べ、その奥には秘密基地感たっぷりの「おはなしのへや」が! ああ、ここにタイムスリップして、桃太郎なんかを読み聞かせてもらいたかった……。
ひょっとしたら「理想の初等教育」は、小規模校にあるのではないだろうか?
さて、チビっ子たちがのびのびと遊べる場所を見たあとも、頭の片隅には「少子化」の現実が引っかかる。市内の小学校事情を聞くと、2校で複式学級が導入されているという。文部科学省のいうところの「過小規模校」だ。そこで、全校児童数36名の笹岡小学校に足を運んだ。
赤坂地域にある笹岡小学校は、平成28年度を4クラスで編成した。規定上、1年生と2年生の2学年だけが合計児童数でギリギリの基準クリアとなり、単学年を維持できた。上級生たちは3、4年生と5、6年生で1クラスずつの複式学級だ。
そして、その授業風景がなんとも小気味好い。積極的に手が挙がり、自分の言葉で発言する笹岡キッズ、実に頼もしい。教壇からの一方通行ではなく、豊かなコミュニケーションの中に授業がある。
そんな子どもたちを見守る校長の深井守さんは「この人数だから、毎日ちゃんと全員に出番が回ってくるんです」と目を細める。頭を低くしてやり過ごそう、という作戦が通用しない小さな学校では、子どもたちは自然に主体性を身につけ、全員が主役になるわけだ。
前任が岡山市内のマンモス校という校長に「当初はさぞご苦労を」と水を向けたら、課外授業だけでなく朝礼でも地域の生産者に話してもらったり、家庭学習の課題にも個別対応を取り入れてみたり、理想の教育を目指してあれこれ挑戦中。
誤解を恐れずに書けば、この小規模校をいちばんエンジョイしているのは校長かも……。ともあれ全体的に、どこか海外の小学校のような居心地のよさだった。
そんな魅力に背中を押されたひとりが、PTA会長の菅谷茂樹さん。実は5年目の移住者だ。兵庫県は西宮で我が子をマンモス校に通わせながら、いつか田舎に移って自給生活をしたいと考えていた。そのトライアルとして四国の古民家に週末移住もしていたところ、たまたま赤磐を紹介されたという。
子どもたちが3年生と新入生になるタイミングでの移住で、小規模校への転入に不安はなかったかと聞けば、即答で「いや、最後の決め手は笹岡小の存在でした。本当に教育の質が高いんです。なにしろひとりひとりを見てくれますから」と。
ちなみに上の子は「前の学校は人数が多すぎて……ここは先生がひとりひとりを見てくれるし、大きな声も出さないよ」と評したそうな。教師と児童だけでなく、赤坂地域の人々を含めて、お互いのことをよく知っている土地柄。
子どもの直感とは鋭いもので……いや、そのあたりがちゃんと「自分のコトバ」で表現できるのも、笹岡イズムなんだなあ。そして「あのままだと嫌いになってたかも、学校」と振り返った子は、この地で真っ直ぐな中学生になっている。
寺社の手伝いや地域の寄合に飛び込むと、それを受け入れる温かさが判る。
翌日、菅谷さんのご自宅を訪ねた。母屋の外観や柱は新しいが、年月を重ねて現代では手に入らない太さ、強さとなっていた梁は元の造りを活かしている。とはいえこの日も職人さんが作業中。
家族分の稲作には目処も付いたが、理想の暮らしは道半ば──と苦笑しつつも「50代で独立し、退職金もつぎ込みました。大きな挑戦ですけど、飛び込んでみないと判らない。思い切って移住してよかった」と、清々しい表情を見せてくれた。
ワンコものびのび。家の奥にはウマとヤギもいて、そちらはさらに自由を満喫。移住者としての率直な感想として、菅谷さんは「ここの人たちは適度な距離感を保ちつつ、優しく受け入れてくれているのがありがたい」という。
そういえば帰りの道すがら、あたり一面の棚田を眺めたが、耕作放棄田が見あたらない。中山間地帯の現実としては異例だが、そんなところにも赤磐の人々の真面目で、助け合う気質が表れているのか、と得心した。
また来ます、赤磐。
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