南房総が、NHKの大河ドラマでとりあげられたことはほとんどありません。ところが2021年の「青天を衝け」、2022年の「鎌倉殿の13人」と、2年連続で南房総ゆかりの人物がとりあげられます。
「青天を衝け」の主役が、渋沢栄一。彼が虚弱児童のために転地療養施設を開いたのが南房総の地でした。「鎌倉殿の13人」では準主役で源頼朝が登場します。彼は南房総の人々の助けを得て再起し、武家政権を打ち立てました。この2人の人物が、どのように南房総と関わったのか、ご紹介します。
渋沢栄一が注目した場所はどこ?
実業家として有名な渋沢栄一ですが、人々を救済する福祉家としても大活躍しました。彼が虚弱児童のために施設を作る際、注目した場所が南房総の海浜、鏡ヶ浦(※1)です。
渋沢は江戸時代後半に寛政の改革を行った老中、松平定信を尊敬していました。寛政の改革の際、七分積金という貸付基金が作られ、福祉政策に使われましたが、なんとその制度は幕府解体後まで引き継がれ、東京府が受け継ぎました。渋沢はその基金を元手に福祉施設を作ることにしたのです。
明治33年、鏡ヶ浦に施設を新築。身寄りのない、身体が弱い児童たちを南房総に移して、大切に養育しました。約10年で多くの児童が若死にを免れて成人することができるようになりました。健康を回復した子たちが自立して恩を思い、救済事業の志を持つ大人に成長することが渋沢の夢と希望でした。
※1 鏡ヶ浦:現在の館山湾の別名
南房総 鏡ヶ浦で健康になる
鏡ヶ浦は、明治20年頃から上流階級の人々の別荘地となり、次第に結核に代表される呼吸器系の疾患を持つ人々に適した転地療養地として注目されるようになりました。そこには汐陽(しおひ)という海水浴施設もありました。今の海水浴とは異なり、海水の湯につかって健康を回復させる、というものです。実際に汐陽の効果は高かったと言われています。病気に苦しむ人々や虚弱児童たちを健康にする力のある土地、南房総は渋沢栄一が救済事業を成し遂げた舞台となったのです。
鎌倉幕府成立に南房総が貢献
2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の鎌倉殿こと源頼朝は、石橋山の戦いで平氏に敗れて逃れた上陸地が南房総でした。南房総は父祖以来の源氏ゆかりの地。地元の武士たちを味方につけて再起しようと、必死の思いでたどり着きました。上陸して一休みしていたとき、平家の臣に襲われましたが、のちに「鎌倉殿の13人」の1人になる三浦義澄が返り討ちにしました。このため一戦場という地名が残り、現在は公園なっています。
仁右衛門島(※2)には頼朝が匿(かくま)われたと伝えられる洞穴があります。房総の武士たちが味方したことにより、頼朝は再起のきっかけをつかみ、後に鎌倉幕府を成立させました。江見太夫崎(※3)にも、頼朝から後に義経に与えられた房州産名馬「太夫黒(たゆうぐろ)」の伝説が残っています。
※2 仁右衛門島:千葉県鴨川市太海にある島
※3 江見太夫崎:千葉県鴨川市江見太夫崎
先人たちに思いを馳せる暮らし
渋沢栄一は、子どもたちの命を救い、育てる場所として南房総が最適な環境であると判断しました。源頼朝は、新しい時代を築くために南房総の人たちを頼りにしました。先人たちが注目し、魅了された南房総。今もなお、温暖な気候の下、健康的に暮らし、学ぶことができる土地です。
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