こんにちは。
「お試しデュアルワーク」※に参加中のダンバラです。

※2019年3月に開催されたイベント「自分のしごと×地域のしごと フリーランスのお試しデュアルワーク」はキャンセル待ちが出るほどの注目が高く、実際にイベントに参加し、デュアルワークを希望したフリーランスの方が、石川県志賀町、北海道鹿部町の大和ハウスの施設等に滞在し、自分の地域の仕事をしながら地域の仕事を体験する企画です。

これまでのダンバラさんの記事はこちら→その1その2

 

印象に残った「よそ行きではない」飲食店

とある休日にランチを食べに行こうと思い、グーグルマップで検索しました。すると菜夢来さんの寮から数百メートルの距離に、スパイスカレーが評判の飲食店があるではありませんか。

「田舎あるある」ですが、志賀町では歩いている人を見かけません。どこへ行くのも車が基本です。それは住まいと職場、そして遊び場が点在しているからです。したがって歩いて食事に行けるというのは、かなりのレアケースです。グーグルや食べログでの評価も高かったので、さっそく足を運びました。

それがこの「のと風」。
東京暮らしの経験をもつ店長(おそらく30代)が、実家に里帰りして開いたお店です。親御さんが美容院を経営しているらしく、塀のない敷地に一戸建てそのままという外観の美容院とレストランが並んでいます。

のと風さん外観

のと風さん外観

基本一人でカウンターを廻しているらしく、メニューはなんでもありでした。それこそ宴会用の刺し盛りからオードブル、カツ丼、揚げ物、そしてカレーまで。

カレー

カレー

「今度、アゴだしラーメンも始めたいと思っているんですよね」と店長は言います。

しばらく客は僕一人でしたので、素顔の志賀町が見えて来ました。
この店はレストランということになっていますが、実際はカラオケの需要が高く、DAMの通信機器を入れているそうです。店長と同年代の若手から、それこそ80歳すぎの老人まで、みんな自分で運転して歌いに来るとのこと。高齢になっても運転する人は少なくないそうで、店長の祖父は87歳まで運転していたとのこと。その一方で、最近は70代で免許を返納する人も増えているようです。

その一方、のんびり電動カートに乗ってやってくる常連さんもいるそうで、「いつもビール10杯飲んでいくよ」と、侮れない老人力を聞かされました。

志賀町では戸建て住居兼用のお店が多いようですが、個人宅の蔵を改造した「猫家」というカフェも印象に残りました。

猫屋さん

猫屋さん

ごくふつうの住居をお店にしているため、目立つ看板もありません。グーグルマップで確認しているのに場所が分からず、適当なところに駐車して徒歩で場所を探しました。文字通り地元の方御用達の喫茶店ですが、お店の方の受け答えの感じが良く、 非常に居心地が良いと思いました。

高い天井に太い立派な梁が印象的な空間

高い天井に太い立派な梁が印象的な空間

蔵を改装したと言うだけあって、太い梁を渡した天井の高さが非日常感を醸し出しています。もとは飼い猫が入り込んで猫カフェのようになっていたそうなのですが、いまはほとんど姿を現さないようです(とは言え、駐車場でちらっとみましたが)。もし志賀町に足を運ぶことがあったら、ぜひ立ち寄って頂きたいお店の一つです。

最後に能登のスーパーに触れて締めくくりましょう。

スーパー入り口

スーパー入り口

志賀町ではなく近隣の街のスーパーで撮影したのですが、この無理のない親密さ、なかなかお目に掛かりませんよね?これが能登なんだろう、と思います。

志賀町の名所へ

前回ご紹介した「厳門洞窟」は、能登半島国定公園を代表する景観の一つです。荒波が険しい断崖を洗って出来た奇岩群「能登金剛」の一部ですが、志賀町には奇岩がまだあります。

菜夢来さんの寮を出て会社に向かって車を走らせます。しばらくすると真っ正面に風力発電所が見えてくるでしょう。都会でも海岸沿いの埋め立て地帯で風力発電の風車を目にすることがありますが、いくつも並んでいることはありません。風力発電所が視界に入ると、旅情を感じるのは僕だけではないはずです。

風力発電所を通り過ぎ、そのまま海に向かいます。入り組んだ福浦港の傾斜地を下ったり上ったりすると、「福浦灯台」のサインが掲げられています。

「福浦灯台」のサイン

「福浦灯台」のサイン

北前船時代の佇まいを残す木造灯台

北前船時代の佇まいを残す木造灯台

この灯台は現存する日本最古の木造灯台で、北前船の寄港地として栄えた福浦の歴史を感じさせてくれます。ただ灯台としては珍しく、非常にに狭い生活道路を抜けた岬の先に立っています。灯台の周辺には狭い畑が点在していて、あまり観光名所らしくありません。周辺環境も含めて味のある施設だと思いました。

福浦港を離れ北上します。厳門を通り過ぎ、なおも北に向かうと「猪ノ鼻」という岬があります。この岬も観光名所らしからぬところで、葦の林をくぐり抜け、足場の悪い崖をロープで伝うことでようやく先端にたどり着きます。もしかしたら遊覧船で海から眺める方がポピュラーなのかも知れません。あるいは釣り舟で来ることもあるかもしれませんね。海が身近な能登では、釣り好きな人が多いようです。

「猪ノ鼻」からの眺め

「猪ノ鼻」からの眺め

猪ノ鼻のすぐそばに国道249号線が走っています。海伝いのこの道を「世界一長いベンチ」に向かって行くと、「夫婦岩」と「機織り岩」という奇岩があなたを待っています。

「能登金剛」の一部、「夫婦岩」

「能登金剛」の一部、「夫婦岩」

同じく「能登金剛」の一部、「機織り岩」

同じく「能登金剛」の一部、「機織り岩」

海沿いだけじゃない志賀町の名所

志賀町と言えば「能登金剛」など海沿いの風光が売りですが、じつは内陸部にも見るべきものがあります。

まずは、茅葺きの拝殿をもつ「松尾神社」です。

松尾神社の正面から

立派な鳥居と茅葺き屋根の拝殿が印象的な松尾神社

石川県の重要文化財建造物に指定されている拝殿

石川県の重要文化財建造物に指定されている拝殿

緑豊かな地域のなかに佇む落ち着いた神社です。この建物は石川県の重要文化財建造物に指定されているのだとか。創建は室町時代だそうですが、もしかしたら創建当時の形を留めているのでしょうか?

周囲には田園風景が広がる

周囲には田園風景が広がる

戦国時代のキリシタン大名として有名な高山右近の墓も外せません。

高山右近の銅像

高山右近の銅像

キリシタンというと、天草四郎が有名で九州の話と思いがちですが、じつは大阪や福島にもいたことが明らかになっています。そして志賀町にも、キリシタンゆかりの歴史があったという訳です。

大名の地位を捨ててまで信仰を守った右近ですが、慶長19(1614)年、徳川幕府のキリシタン禁教令によってフィリピンのルソン島に追放され、63歳で没しました。

右近は大阪の高槻を治めていましたが、一時、加賀藩の客将としてこの地に滞在していました。その関係もあって、右近の没後、娘のルチアと孫の一人がひそかに帰国したとき、志賀町末吉にある高山家の墓を守ってきた家を頼ったのだそうです。そして右近の子孫はキリスト教を信仰したまま、この地に根を下ろしました。現在の当主は16代目だそうですが、代々医者をしているそうです。この記念から5分歩いた場所に、子孫によって建立された右近の墓があります。

高山右近の墓

高山右近の墓

ちなみに右近は2017年に、ローマ法王庁から「福者」という称号を授けられました。「聖人」の次のランクに位置づけられる評価だそうです。

最後は棚田です。能登で棚田というと、どうしても「白米千枚田」に目が行きがちです。しかし志賀町にも棚田があります。能登金剛から近い「大笹波水田」です。眼前に日本海が広がる「白米千枚田」のようなダイナミックさはありませんが、農林水産省が制定した「日本の棚田百選」に選ばれています。残念ながら、僕は時間がなくて廻れなかったのですが、これから志賀町に行かれる方は立ち寄ってはいかがでしょうか。

夜の志賀町

志賀町の滞在中、就寝前に玄関前のステップに腰を下ろして夜空を見上げるのが習慣でした。単純に「空気が綺麗だから、星もよく見えるんだろうな」と思って始めたことです。

夜の志賀町は、それこそ墨を流したように真っ暗です。

夜の志賀町、街頭が少なく暗闇が広がる

夜の志賀町、街頭が少なく暗闇が広がる

外に出たら最後、自分の足さえ見えません。しかし上を見上げると、無数の星々が瞬いていることに気付くのです。

夜の星空 ※イメージ

夜の星空 ※イメージ

遠方から、飽くことを知らぬカエルの合唱が聞こえてきます。田圃のただ中にいる訳ではないのに不思議ですが、どこかに田圃があったのでしょうか? かなり距離があるらしく、ソフトな音量でした。

周囲には動くものの気配はありません。ときどき思い出したように、車の通り過ぎる音がします。しかし視野には入ってきません。

静寂と平安。すっかり満ち足りています。

蛙の声を聞きながら缶ビールを啜り、ぼうっと考え事をします。明日も早い。もう寝ましょう。