奄美と藤沢の二拠点生活を送りながら、多方面で活躍する勝眞一郎さん

奄美と藤沢の二拠点生活を送りながら、多方面で活躍する勝眞一郎さん

奄美大島と神奈川県藤沢市に拠点を持ち、大学教授、業務コンサルタント、NPO理事や企業役員、総務省の地域情報化アドバイザー、さらには各種媒体での連載を多数抱え…と、多方面で精力的に活躍されている勝眞一郎(かつ・しんいちろう)さん。

月に半分ずつ奄美と藤沢に滞在し、東京でもたくさんの仕事をし、出身地である奄美のためにも力を尽くす。そんな勝さんの姿は、移住や多拠点生活を目指す人にとって理想ともいえる姿ではないでしょうか。

これほどまでに多様な仕事を手がけるようになった経緯や、二拠点生活の実際、そして移住や多拠点生活をしたいと思っている人たちへのアドバイスを伺いました。

頼まれた仕事を引き受けるうちに、地方創生に関わっていくことに

奄美大島の海は、ふるさとでありサーフィンのスポットでもある

奄美大島の海は、ふるさとでありサーフィンのスポットでもある

――最初に、ご経歴と現在のお仕事について教えていただけますか?

1964年生まれ、奄美大島の出身です。大学院卒業後に機械メーカーのヤンマーで19年間働きました。モノづくりの現場で、経営、設計、製造、物流、情報システムなど幅広く関わり、新規事業立ち上げ、物流費カットや部品削減などのプロジェクトを手がけてきました。当時から社内コンサルタントのような仕事をしていましたね。アメリカのシカゴで4年半ほどの駐在経験もしました。

現在の仕事はたくさんあるのですが…まずひとつ、通信制大学であるサイバー大学でプロジェクトマネジメントを教えています。大学の立ち上げから参画しており、一般教養科目から専門科目、演習、ゼミと卒論まで、1学期あたり約1,000人の学生の指導に携わっています。

それから、奄美市の産業創出プロデューサーは8年目になりますね。また、バローレ総合研究所の代表として、製造業を中心としたコンサルティングも行っています。全国の有人離島をカバーするNPO法人離島経済新聞社の理事。あとは宿泊施設経営などを手がける奄美イノベーション株式会社の執行役員、一般社団法人あまみ大島観光物産連盟のプロジェクトリーダーも。IT系専門紙、地元のフリーペーパー、鹿児島のエンタメ雑誌、離島経済新聞社の季刊リトケイ、そしてランサーズの「THE LANCER」などの連載執筆もしています。

――まさに八面六臂のご活躍ぶりですね!

以前、中学生の姪っ子から学校の宿題ということで仕事内容を聞かれたことがあります。親以外の親しい人の仕事について調べる、みたいな課題だったでしょうか。それで、先に言った仕事を挙げていって、「えっとほかには何があったかな…」と考えていたら、「もういい」と言われてしまいました(笑)その時その時の仕事にはもちろん真剣に取り組みますが、自分の仕事が全部でいくつあるのかわからなくなることはありますね。

――地域でのお仕事に関わるようになったのはなぜでしょうか?

ヤンマー時代から付き合いのあったコンサルティング会社から、各地の仕事を紹介してもらったのがきっかけですね。会社員時代の私の仕事ぶりを知っている人たちが、「勝さんなら何とかしてくれるかも」と話を持ってきてくれたのです。これまで、千葉の竹林整備や長野の小水力発電プロジェクトなどに携わってきました。来る仕事をどんどん引き受けていたら、地方創生にも関わっていたという感じですね。

地域のために働き、「故郷のためにも何かをしたい」と奄美大島へ

奄美の美しい海岸風景。こんな場所で仕事をすることも

奄美の美しい海岸風景。こんな場所で仕事をすることも

――では、奄美大島に拠点を持つことになったきっかけは?

全国各地で地域課題の解決に関わる中で、自分の故郷である奄美を放っておいていいのだろうか、と考えるようになりました。そんなとき、タイミングよく奄美市からオファーがあったのです。奄美市は、観光・農業・情報通信を産業政策の三本柱としています。しかし、このひとつである情報通信にはなかなか手がついていなかったのですね。そこで、市が作った産業支援施設のマネジメントを依頼されました。それをきっかけに、奄美にも拠点を持つことになったのです。

――奄美ではどのようなお仕事をされているのですか?

情報通信に限らず、奄美市の総合戦略立案の支援、ICT産業支援、観光による地域作り組織(DMO)支援、伝統産業再生支援などをに携わっています。また、「フリーランスが最も働きやすい島化計画」のプロデュースも行いました。

――実際に二拠点居住を始められて、大変だったことは何でしょうか?

スケジュール調整ですね。藤沢と奄美それぞれ月に半分ずつなので、どうしてもスケジュールが合わず、会議や会合に出られないという事態が発生してしまいます。最初は自分も周りも「どうしようか…」となっていたのですが、この生活を続けていると、次第にお互いが慣れてきましたね。スケジュールをまとめてもらったり、オンラインで参加したりと柔軟に対応できるようになってきました。

奄美にいる時は日中にさまざまな企業のお話を伺ったり会議に出て、夜は在宅でサイバー大学の学生のレポートを添削したり、執筆をしたりというスタイルが多いです。藤沢にいる時は、都内に出る日に企業のアポや省庁での会議など予定をまとめてこなしています。大学の教授会や研究会も月に2〜3日ありますね。

――藤沢と奄美、どちらも海のある場所ですね。

生まれ育った環境から、やはり海が好きなんでしょうね。実際のところ、都内に拠点を持つ方が便利ではありますが、趣味のサーフィンがすぐできる環境にいたくて藤沢住まいをしています。ただ、今は忙しくてなかなかサーフィンをする時間がないのですが…(笑)。

移住・多拠点生活の前に、仕事の基盤を作ることが大切

奄美を楽しくする、勝さんの大切な仲間の方々

奄美を楽しくする、勝さんの大切な仲間の方々

――現在すでに多方面でご活躍ですが、今後の展望についてお聞かせください。

人を育てることに注力していきたいと思っています。特に、どんな仕事をする上でも大切になる「課題の本質を見つける」「構造化する」「実行して計測する」というコンサルティング技術をしっかりと伝えていきたいですね。

――最後に、移住・多拠点居住を希望する人へのアドバイスをお願いします。

ただ憧れやイメージだけで移住や多拠点居住をしても、うまくいきません。仕事のチャンスは東京などの都会の方が断然に多い。都会にいる間にクライアントや仕事仲間としっかりとした関係性を作ってからの移住をお勧めします。

移ったあとで、地方には仕事がないからと都会にアプローチするのは難しいのです。すぐにでも都会を離れたい気持ちがある人もいるかも知れませんが、十分な準備期間を取りましょう。地方へ行っても求められる人材となるように腕を磨き、顧客を持ち、堅固な基盤を作るのです。

また地方では、仕事を選んでいては生活していくのが難しいこともあります。奄美でも、生活をひとつの仕事では賄えないので、多くの人が2種類、3種類の仕事をしています。地方に移住したなら、声がかかった仕事は何でも引き受けてみましょう。頼まれごとは「試されごと」。何でもやってみることで自分の可能性が広がり、地域とのつながりも強くなっていくのです。

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