2019年秋、2つの台風が日本列島を襲い、被災した地域はそれぞれが懸命に復興への道のりを歩んでいます。昨年のどちらの台風も、被害は都市部でも一部あったものの、多くは移住先としても人気のある地方に集中しました。

移住先として人気を集める南房総市は、2019年9月9日に上陸した台風15号により甚大な被害を受けました。このたびLOHAI編集部では、実際に被災した南房総市の移住者の方々、フリーランスの方々にお話を伺い、「移住フリーランスの災害ハック」としてまとめました。

今回は、南房総市地域おこし協力隊員で、「房総復興ブースター」副代表も務める相川武士(あいかわ・たけし)さんにお話を伺いました。

子どもの誕生を機に、自然豊かな南房総へ

――最初に、ご経歴と現在のお仕事について教えていただけますか?

1983年生まれ、大阪の出身です。大学卒業後は、青年海外協力隊としてルワンダで理科を教えていました。帰国後は東京で広告やWeb制作、貿易などの仕事を経験しました。子どもが生まれたのを機に自然豊かな環境で暮らしたいと考えるようになり、2017年11月に南房総市に移住しました。

南房総では、地域おこし協力隊としてDMO設立に向けた仕組みづくり、ITの整備・活用、新しい観光素材の発掘、ツアー造成、撮影・情報発信、インバウンド観光支援などを担当しています。

――なぜ、移住先に南房総を選んだのでしょうか?

地方では思うような就職先がなかなか見つからないので、地域おこし協力隊を募集している地域で移住先を探しました。東京でのつながりも活かしたい、寒い場所が苦手…などの条件に当てはまったのが南房総市だったのです。募集内容が観光やIT関連で、自分と妻それぞれの経験を活かせるのも決め手となりました。

1週間で復興支援プロジェクトを立ち上げる

――台風15号の被害について、お聞かせいただけますか?

自宅のテラスの屋根やお湯を沸かすタンクが壊れ、水道管が破裂したほか、家の中に多少の雨漏りがありました。困ったのは停電です。停電していた3〜4日ほどは携帯がつながらず、情報を得ることも発信することもできませんでした。さらに、台風に備えて雨戸を閉めていたのですが、それが電動なので開けられなくなってしまい…。家の中が蒸し風呂のようになって熱中症になり、知人のゲストハウスに避難させてもらいました。

――それは大変でしたね…。電気が復旧したあとはいかがでしょうか。

電気が復旧して自宅に戻ったと同時くらいから、自宅の管理をしていただいている建築会社さんがSNSで被災状況の発信を始めました。すると、どんどん救援物資が集まってくる。その受け入れや仕分け、運搬を手伝いました。

電気が使えるようにはなりましたが、情報は錯綜していました。まだ停電が続いている所ももちろんあって。何かできることはないかと知人と話し合い、Facebookで被害共有グループを立ち上げました。メンバーは900人以上になり、必要な物資や配給の状況、被災状況について情報を伝え合う場となりました。グループにアクセスできる人はそこから情報を得て、ネットを使えないお年寄りなどに伝えてもらうなど、活用してもらいました。

――「房総復興ブースター」も立ち上げられたのですよね。

被災から1週間後くらいから、ボランティアとして地域を回りました。皆がいちばん困っていたのが屋根の破損でした。ブルーシートはすぐ剥がれてしまうし、修繕できる職人がまったく足りない。そこで、支援者と職人さんを募るために、「房総復興ブースター」の仕組みを考えました。知人2人と1週間ほどで立ち上げたものですが、多くの方々の支援をいただき、これまでに数十人の職人さんが南房総に来てくださいました。

移住者だからこその視野の広さ、情報力で支援を

――今回の被災により見えてきた、移住者特有の課題などはありますでしょうか。

南房総は移住者が多いこともあり、外から来た人にも温かい土地柄だと思います。しかし、自分から地域と関わっていこうとしないと、地域のネットワークからは漏れてしまう。今回の台風のように停電し、ネットがつながらなかった数日間は、アナログのネットワークが役立ちました。地域のリアルなつながり、直接顔を合わせてのやりとりということですね。移住のスタートから、そして日頃から地域と関わっていく意識を持っていないと、いざという時にお互い助け合うことができない。そんなことを強く感じます。

――逆に、移住者だからこそできたことや、役立てたということはありますか?

若い世代や、フリーランスの移住者はネットリテラシーが高い人が多いので、ネットがつながるようになってからは早く広く情報を得て、それを地域に伝えるという役割を担うことができると思います。

また、地域単位にとらわれない見方ができるのも、移住者ならではだと思います。移住者同士のネットワークも活かし、鳥瞰的に状況を把握し、全体の最適化を考えることができる。「房総復興ブースター」もそうですが、全体を見て自分たちにできることを考え、すぐに行動に移せることが移住者の強みではないかと思います。

被災を通して、助け合いと連帯の意識が強くなった

JR岩井駅から徒歩1分の相川さん宅。「店舗として使われていたスペースを活用し、地域と移住者、観光などで訪れた人とをつなぐ拠点にしたい」

――これから移住や多拠点居住を考えている人へ、アドバイスをお願いします。

移住の前に、地域との関わり方について自分のスタンスを考えておいた方がいいと思います。地域の人々と関わっていこうと思うなら、普段から草刈りや清掃などの地域活動に顔を出したりと、ネットワークに入っていく姿勢が必要です。若い分、力仕事ができたりITに強かったりなど、重宝される面もあります。平時から助け合いの気持ちを大切にすることで、地域のネットワークの一員となっていくことができるのです。

「地域との関係」というと身構えてしまう人もいるかもしれませんが、少しずつでいいのです。同じ市内でも、地域によってネットワークのあり方はさまざまです。合わないな、と思えば住む場所を変えればいい。僕たち家族も最初はリゾートマンションに住み、それから一軒家と、徐々に地域に入っていく形をとりました。最初は週末移住や二拠点居住から始めるというのもいいでしょう。住まい方や地域との関わり方を柔軟に変えていけるのが、移住者の強みであるとも思います。

――南房総での今後について、相川さんはどんな展望を描いていらっしゃいますか?

被災から約7か月が経ち、宿泊施設や観光施設はほぼ通常営業となっていますが、復興は未だ途上です。人に来てもらうことが復興につながると考えており、観光施策を手がける地域おこし協力隊として、復興支援そのものを観光にできないかと考えています。例えば、現場を見て話を聞くスタディツアーや、登山道の整備をしてもらうなど、マイナスをプラスに変えていくプログラムを作っていきたいです。

個人としては、協力隊終了後にどんな活動をしていくか、構想を練っています。学習塾やWeb関連の講座、地域と旅行者両方に開かれたスペースを作るなど…たくさんのアイデアが浮かんでいます。地域と移住者、観光などで訪れた人とをつなぐハブのような存在になれればと。

今回の被災によって、助け合う、連帯するという意識を皆が持つようになったと感じています。もともと住んでいる人も、移住者や多拠点居住者も、自分たちが住む地域は自分たちで何とかしようという思いでまとまり、地域の試練や課題を皆が「自分ごと」として考えるようになった。それは今回の台風によって得た、ひとつの果実ではないかと思っています。